
幕末・明治の偉人、西郷南洲翁は、霊境白鳥山を讃え、次の漢詩の句を残している。
- 幽居夢覚起茶烟
- 幽(ゆう)居(きょ)に夢(ゆめ)覚(さ)めて茶(さ)烟(えん)起(おこ)り
- 霊境温泉洗世縁
- 霊境(れいきょう)の温泉(おんせん)世(せい)縁(えん)を洗(あら)う
- 地古山深長若晩
- 地(ち)古(ふる)く山(やま)は深(ふか)うして長(なが)きこと晩(くれ)のごとし
- 地古く:歴史が古く
- 地(ち)古(ふる)く山(やま)は深(ふか)うして長(なが)きこと晩(くれ)のごとし
- 不聞人語只看天
- 人語(じんご)を聞(き)かず只(ただ)天(てん)を看(み)る
- 六月山堂秋意深
- 六月(ろくがつ)の山堂(さんどう)秋(しゅう)意(い)深(ふか)く
- (山堂=白鳥権現社別当寺満足寺)
- 六月(ろくがつ)の山堂(さんどう)秋(しゅう)意(い)深(ふか)く
- 不知浮世暑威侵
- 浮世(ふせい)の暑威(しょい)を侵(おか)すを知(し)らず
- 雨餘渓響絶人語
- 雨余(うよ)の渓(けい)響(きょう)人語(じんご)を絶(た)ち
- (雨余=雨上がり)
- 雨余(うよ)の渓(けい)響(きょう)人語(じんご)を絶(た)ち
- 自覺瑤臺近可尋
- 自(おの)ずから覚(さと)ゆ瑤(よう)台(だい)近(ちか)くして尋(たづ)ぬべきを
- (瑤臺=高殿(白鳥神社))
- 自(おの)ずから覚(さと)ゆ瑤(よう)台(だい)近(ちか)くして尋(たづ)ぬべきを
- 白鳥山頭涼処眠
- 白鳥(しらとり)山頭(さんとう)涼(すず)しき処(ところ)に眠(ねむ)り
- 起來神爽渓泉煮
- 起(お)きれば神(しん)爽(さわ)やかにして渓(けい)泉(せん)を煮(に)る
- 瀑聲松籟洗塵耳
- 瀑(ばく)聲(せい)松(しょう)籟(らい)塵(じん)耳(じ)を洗(あら)い
- (瀑聲松籟=瀧の音と松風の音)
- 瀑(ばく)聲(せい)松(しょう)籟(らい)塵(じん)耳(じ)を洗(あら)い
- 占断茅盧一洞天
- 占断(せんだん)す茅(ぼう)盧(りょ)一(いっ)洞(とう)の天
- (茅盧=茅ぶき屋根の粗末な庵)
- (洞天=洞は仙人の住むところ。仙人の天地。境地)
- 占断(せんだん)す茅(ぼう)盧(りょ)一(いっ)洞(とう)の天
征韓論に敗れた西郷隆盛(南洲)は、参議・近衛都督の官職を辞し、明治六年に鹿児島に帰った。その後、俗塵を離れた清閑の地を求め、明治七年七月から同年十月までの間、滞在したのが、白鳥神社と上湯の中間くらい の場所にあった温泉宿**「六兵衛の湯」**(宿の跡は現在残っていない。)である。
当時の白鳥神社は明治元年に発令された廃仏稀釈のために別当寺の金剛乗院満足寺が廃寺になり、仏像、仏具は取り除かれ、社僧は還俗、または神道への転宗させられるなど混乱、衰退していた時期にあった。
そのような状況でありながら、この句から白鳥神社、温泉の地は人里離れ、まさしく幽玄な聖地であったことが伺える。また世俗を忘れ、心身を清め、自然と一体となっている南洲翁の心境が詠まれている。
参考資料:飯野町郷土誌発行 白鳥神社社務
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