
特集 白鳥山の古道を訪ねる ◇白鳥山信仰を今に伝える里坊の扁額
右の写真は、明治の廃仏毀釈まで白鳥山麓の里坊に掲げられてい た木の扁額であり、奇跡的に失われず今に伝わっています。里坊跡地 に移住された白鳥地区上門前の海蔵次男氏が飯野町役場(えびの市) に寄贈されたことにより現在、えびの市歴史民俗資料館に展示、保管 されております。扁額の縦の長さが1mぐらいあることから里坊の規 模、白鳥山の信仰が如何ほどであったか偲ばれます。 飯野郷土史では、扁額が二の鳥居に掲げられていたと記されていま すが、白鳥山は仏教色が極めて強かったことや鳥居では雨ざらしとな ることから木製の扁額が持ち堪えられないため、屋根がある寺院の入 り口に構える山門に掲げていたと推察しております。 里坊付近は、末永村奈多良木と呼ばれており、里坊近くに白鳥山三 十世座主の墓が1基現存しています。里坊は、金剛乗院満足寺の別当 が白鳥山の祭事を修する際に1週間の精進潔斎していたことが記録さ れています。 里坊は、白鳥山に入る前の潔斎所、里と山との結界であり、白鳥山 古道の出発地点でもありました。

◇白鳥山の六観音御池

三國名勝図絵に描かれている六観音御池。虚國嶽(韓 国岳)の真正面のところに六観音堂が建立されていた。
江戸後期に編纂された三國名勝図絵には、性空上人が法華経を読誦して白鳥権現が出現したことによって自らが六観音像を彫刻し、白鳥権現の出現のところに御堂を建てて観音像を安置したことが記されています。さらに「六観音は、霧島六所権現の本地なり」と記され、霧島六所権現信仰の源、中心が六観音であることを伝えています。
白鳥山古道は、六観音御池に向かう巡礼の道であり、白鳥権現社の祭礼の後に必ず別当をはじめとする住僧、社司ともに御神境を携えて六観音堂まで歩いて参拝されておりました。
◇古道再現から始まる霧島山の歴史と神話の発見
白鳥山は、明治に廃仏毀釈による観音堂の取り壊し、仏事の廃止、修験道の禁令によって六観音信仰が消滅し、著しく衰退しました。さらには車社会の到来、急峻な坂があることや六観音御池まで池めぐりコースで短時間で行けることによって昭和30年頃から古道を歩く人がいなくなりました。
白鳥山六観音の信仰にはこの古道がとても大切であり、歴史的遺産といっても過言でありませんが、この古道を歩いたことがある方のほとんどが80代後半であり、この古道は永久に埋もれざるをえないと諦めかけておりました。霧島山の遭難事故救助のボランティア活動に長年携わっている小林市の樋ノ口正光氏が奇跡的に白鳥山古道を踏査され、大部分を探し当てられました。この古道が再現されることによって他の霧島山の歴史や神話においても掘り起こされる貴重な道になるものと確信しております。

古道に立つ樋ノ口氏と随行の牧原氏
◇白鳥山古道
平安後期の性空上人が六観音御池で修業されている時には、白鳥山古道が既に参道としてあり、その道があったことで白鳥権現社が創建されたと思われます。さらに古くは、景行天皇紀においてヤマトタケルも歩いていたのかもしれません。
この古道沿いには、標高等に応じて多種の樹木があり、モミの木をはじめとする巨木が多く聳えていることに特徴があります。三百年ほど前に植えたと思われる杉が所々に道標のように立っており、場所に よっては並木になって立っております。 吉野、熊野をはじめ聖地をつなぐ古道のほとんどは、修験者が長い 歴史において社寺とともに守り継いだものでありますが、その修験者 は1カ所の神社、寺院に留まらずに各地を巡礼しておりました。修験 者は「法者ドン」、「ヤンボシ」と薩摩藩で呼ばれており、霊峰霧島 があることにより多くの修験者が集まっていたものと思われます。

白鳥山古道沿いの2本の巨木杉 えびの盆地が一望できます
霧島六所権現信仰は、性空上人が六界(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天)に苦しむ一切を救う仏道の願いにより前述にある六観音を本地とする六カ所の権現社を創建、中興したことから起こります。この六所の権現社とは、霧島神宮(西御在所霧島六所権現)、夷守神社(夷守六所権現)、霧島峯神社(霧島山中六所権現)、霧島東神社(霧島御在所両所権現)、狭野神社(狭野大権現)、東霧島神社(東霧島権現)が上げられています。
これらのいずれの神社も天孫降臨以後から大和のご東遷までの皇祖をお祀りしていることが共通しています。一方、上人が創建に関する白鳥神社(白鳥六所権現)がこの六所に入れられておりませんが、性空上人が創建され、上人及び六観音に関して前の六所以上に深く繫がっていることから別格の六所権現に位置づけられておりました。三國名勝図絵においても性空上人のことが白鳥権現社のところで最も詳しく記されております。
明治のはじめまでの観音菩薩を本地としての六所権現の信仰は随分と大きく変わりましたが、今尚、霧島の六カ所の神社参りとして受け継がれています。
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